ネパール交流のあゆみ
ネパール交流のあゆみ
本校では「姉妹校協力委員会」を立ち上げ、ネパールとの教育交流を図ってきました。
その歩みを時系列でご紹介いたします。
1994年
7月
20周年実行委員会(教職員・PTA 役員・PTA 役員OB・近隣自治会などからの代表で組織)で「ネパール児童教育基金」の設立が正式決定。
同時に、前年度から計画していたバザー、ろくっこまつりなどの開催決定と近隣自治会の参加協力を依頼。
10月
20周年記念式典で関口実行委員長より駐日ネパール公使へ、児童代表より日本ユニセフ協会代表に学校建設資金の目録贈呈。
1995年
1月
ネパール文部省のウッタム・アマティア氏(児童教育局長)が、ネパール大使館の紹介で本校を訪問。
ネパール政府とUNDP(国連開発計画)が推進するネパール初等教育改革計画のため、日本の教育システムの調査研究が目的。
最後に本校の計画を伝えたところ、UNDP/ネパールの坂口代表に連絡することをアドバイスされる。
翌日に坂口代表に電話連絡で本校の計画を伝える。
2月
坂口代表より、帰国したアマティア氏と代表のキャロル・ロング氏を交えて以下の結果について連絡が入る。
- ネパールの初等教育改革計画に、本校のプロジェクトをモデルケースとして組み入れる。
- UNDPが責任を持って姉妹校を斡旋する。
- 姉妹校に本校が望む記念パネルを設置する。
4月
UNDP駐ネパール代表のキャロル・ロング氏より、本校のプロジェクト推進の候補地として、バネパ市(首都カトマンズより東に26km)を推薦したい旨の連絡を受ける。
本校の関係者で協議した結果、UNDPの推薦を受ける旨の返事をする。
5月
キャロル・ロング氏がランバクタ・シュレスタ バネパ市長に会い協議した結果、本校との姉妹校をバネパ市で実現させることで合意。
バネパ市に関する諸々の資料に添えて、推薦校の選択が本校に求められる。
本プロジェクトの顧問である辻井氏がネパール訪問の計画があることから、推薦校への訪問を辻井氏に依頼した旨をキャロル・ロング氏に連絡。
6月
キャロル・ロング氏から辻井氏と協議した内容報告と共に、バネパ市の「ジャナジョティ小学校」が最終候補として残った旨の経過説明があり、本校の了解が求められる。
本校の関係者で協議の結果、本校と「ジャナジョティ小学校」の姉妹校提携を了解する旨を返事。(すでにある校舎のリフォームと予算額内での新校舎建設)
※本校の事業内容は20周年記念式典前に報告していたが、国連との共同事業になった経過を区長と教育委員会(当時の教育長は多田現区長)に報告。
以後の経過についても報告して欲しい旨を依頼された。
8月
キャロル・ロング氏から、19頁に亘る「覚書」が本校に届く。記されている内容のポイントは以下のとおり。
- バネパ市長の要請のもとに、「ジャナジョティ小学校」と本校が姉妹校になった経過について。
- ネパール側に「学校建設促進委員会」が結成されたこと(UNDP代表・バネパ市長・学校関係者・地域代表・保護者代表などで組織)
- NY国連本部に駐ネパールUNDP代表から、本校のプロジェクトに予算を計上して参加することの承認を得た経過と、UNDPが本校と一緒に事業を行うことの意義について。
- 「覚書」 にはUNDP、ネパール文部省、本校のそれぞれの代表がサインして保持するが、その儀式は本校の代表団がネパール訪問の折に挙行したいこと。
- 本プロジェクトの今後の進行状況等は駐UNDP 代表を通して、本校、ネパール文部省、バネパ市長、学校建設促進委員会、ネパール大蔵省(会計監査)、国連本部に報告されること。
9月
夏休み期間中で返事が遅れたお詫びと、本校は全ての進行をUNDPに委任する旨を返事。
なお、本校からのネパール訪問は追って返事する旨を連絡。
10月
UNDPから本校のネパール代表団派遣の要請が区長宛に届く。
11月
姉妹校調印を目的に、第一次代表団7名がネパール(ジャナジョティ小学校)を訪問
1996年
2月
駐ネパール日本公使が出席のもと、校舎建設スタートの植樹祭が行われた様子の写真とビデオが本校に届く。
10月
UNDPの費用負担(滞在費は本校)で、ジャナジョティ小学校からナラヤン校長とクリシュナ君が来校。
11月
UNDPから本校のネパール代表団派遣の要請が区長宛に届く。
12月
開校式典への出席を目的に、第二次代表団13名がネパールを訪問。
※以下、編集中です。