校長室から<平成28年9月その3>
- 公開日
- 2016/09/21
- 更新日
- 2016/09/21
校長室から
今年は台風の多い年です。それも週の始めに来ることが多く、学校では子どもたちの安全確保のため神経を使っています。今週の朝会も雨のため、体育館で行いました。
平成28年度9月その3
「パラリンピックの魂」
平成28年9月20日(火)
おはようございます。今日は、雨の登校となりましたね。班長さんが下級生をよくまとめて、立派な登校風景であったと思います。
さて、先週リオデジャネイロでパラリンピックが幕を閉じました。オリンピックに始まり、長かった「熱い熱い夏」が終わりました。今日はそのパラリンピックについてお話します。
パラリンピックは、障害のある人たちのオリンピックです。皆さんもテレビで頑張る選手たちの姿を見たことでしょう。障害もさまざまです。足の不自由な方・手の不自由な方・目の不自由な方・・・また、生まれた時から障害のあった方・大きくなってから事故に遭ってという方、原因もさまざまです。でも、選手の皆さんは障害がありながら、スポーツに真剣に取り組み、自己ベストを出そうと、メダルを取ろうと、大奮闘していました。その姿はオリンピックとはまた違った大きな感動を私たちに与えてくれましたね。涙もろい校長先生は、オリンピック同様、いやむしろオリンピック以上に涙がこぼれて仕方ありませんでした。
特に、心に残った二つの場面があります。一つは水泳のエース・木村敬一選手の姿です。彼は全盲の選手です。全く目が見えないのです。目が見えずに泳ぐとはどういうことでしょうか。泳いでいると何度もコースロープにぶつかってしまうのだそうです。それを克服するために肉体改造をしたと言います。コースロープにぶつかっても泳ぎ切る体力をつけたそうです。その木村選手が最後のレースを終えて言った一言が忘れられません。
「きつかったあ。」
と言って、顔をそむけてタオルで涙をぬぐったように見えました。木村選手はこのパラリンピックにどんなにかけていたことでしょうか。どんなにひたむきに取り組んでいたのでしょうか。そんなにきつくても、なぜ頑張ったのでしょうか。何か生きる上でとても大切なことを教えられた気がします。目の見える世界に生きている私たちは、ここまで頑張っているのだろうか、自分を追い込んでいるだろうか、と自分に問わずにはいられませんでした。
もう一人は幅跳びの山本篤選手です。彼は、事故で片足を失い、義足と言って本物の足の替わりになる道具を身につけています。初めは何度も何度も転んだと言います。それはそうですよね。自分のほんとうの足ではないのですから。テレビでその練習風景を見て、なぜ山本選手はこんなに転んでも立ち上がろうとするのだろうか。感動に震えながら考えました。彼をつき動かしているものは何なのだろうかと。そして、健康な人以上に大きなジャンプをするその姿に、また感動していました。
オリンピックの選手とパラリンピックの選手は、どちらもスポーツにひたむきに取り組んでいるという点でなんら変わりはありません。でも、一つ大きく大きく違う点があると思うのです。それは、障害を受け入れる強さ、乗り越える強さを、パラリンピック選手はもっているということです。特に、事故等で体が不自由になってしまった選手は、初めは障害という事実を受け入れられなかったと言います。義足で外に出るなんて考えられもしなかったそうです。人は誰しもそうなると思います。校長先生も絶対そうなると思います。それが、今、その障害をあるものとして受け入れ、障害と向き合っている姿をあるがままの姿として表現しています。なんという心の強さなのでしょうか。私たちには、太刀打ちのできない心の強さです。だから、パラリンピックにはオリンピックとはまた違った感動がたくさんあったのだと思っています。真に「生きることの意味」を私たちに教えてくれました。
さあ、4年後には東京にオリンピック・パラリンピックがやってきます。いつも言い続けていますが、その時皆さんには何かしらの形でオリンピック・パラリンピックに関わっていてほしいのです。特に、パラリンピックはボランティアという点でオリンピックの比にならない位、手が必要なそうです。たとえ小さな力でもできることがあるかもしれませんね。応援も一つの力になるでしょうか。考えてみたいですね。
これで、今日のお話を終わります。今日は「パラリンピックの魂」というお話をしました。