学校日記

1月30日「山形県の郷土料理」

公開日
2024/01/30
更新日
2024/01/30

給食

https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1320147/blog_img/3246072?tm=20240305134736

https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1320147/blog_img/3246343?tm=20240305134736

https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1320147/blog_img/3246590?tm=20240305134736

1月30日(火) 今日の給食は「山形県の郷土料理です」

江戸川区と山形県鶴岡市は友好都市です。太平洋戦争の際、江戸川区の子供が家庭を遠く離れ、山形県鶴岡市とその周辺に疎開したことがきっかけとなっています。東京に帰って成人してからも鶴岡の豊かな土地柄や温かい人々の心を忘れなかった人たちが、昭和39年の新潟地震で支援活動をしたり、鶴岡市との交流を深めました。この友情の輪を区民・市民全体に広げ平和の尊さを語り継ごうと、昭和56年に江戸川区と鶴岡市は、友好都市となったのです。みなさんの身近なところでは、毎年の区民祭りで鶴岡市のブースが出店されていることでしょうか。

さて、山形県鶴岡市は学校給食発祥の地でもあります。常念寺というお寺のお坊さんを中心に、寺院の住職たちが貧しい家庭の子ども達も学校に通い、勉強ができるようにと大督寺というお寺の本堂の一部に「忠愛小学校」をつくりました。貧しい家庭の子ども達は、学校に弁当を持ってくることがでませんでしたので、住職たちは弁当を持ってこられない子ども達に昼食を作りました。これが、日本の「学校給食」のはじまりです。

さてそろそろ山形県の郷土料理の紹介をしましょう。芋煮の発祥は古く、1600年代半ばともいわれています。当時、最上川を利用した荷物の運搬の終点だったといわれる中山町では、舟が到着したことを知らせる通信手段がなかったため、舟の船頭たちは荷受人が現れるまで何日も待たされることがあり、退屈をしのぐために河原で鍋を囲んで宴を開いていたそうです。

船着き場の近くに里芋の名産地があったため、手に入れた里芋と積み荷の棒ダラなどを鍋で煮て食べていたそうで、それが現在の「芋煮」のルーツとされています。肉を使うようになったのは、昭和のはじめごろからです。「芋煮」は地域によって味付けや具材の種類が異なります。今回作ったのも、たくさんあるレシピのうちの一つです。

「玉こんにゃく」は”玉こん”の愛称で親しまれている山形県民のソウルフードです。こんにゃくと縁が深いのが、山形市にある「宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」、通称「山寺」です。平安時代に創設された寺院で、開山した慈覚大師(円仁和尚)が中国から持ち帰ったこんにゃくを寺の精進料理に使いはじめ、それが周辺住民にも普及。やがて、県内一帯にこんにゃくが広がっていったと伝わっています。今日は現地の方のレシピを参考に、給食風に少しアレンジして作ってみました。

一枚目の写真
芋煮 農林水産省のHPより

二枚目の写真
Visit YAMAGATA HPより

三枚目の写真
江戸川区の友好都市、山形県鶴岡市 江戸川区のホームページより

カレンダー

2024年7月

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

予定

2024/7/15 (月)
海の日
2024/7/17 (水)
保護者会
2024/7/17 (水)
学力向上後援会(睡眠)
2024/7/21 (日)
夏季休業日(始)
2024/7/22 (月)
三者面談期間(始)
2024/7/22 (月)
トライ夏期補習教室(始)

タグ

RSS