学校日記

「義母の死」に思うこと

公開日
2015/10/21
更新日
2015/10/21

校長室より

 8月20日、同居していた義母が亡くなりました。90を過ぎるまで一人暮らしをしていた義母は、頭もはっきりしていてほとんど不自由なく生活をしていました。しかし、いつのころからか足腰に痛みが生じて日に日にひどくなり、だんだん歩くのが困難になってきました。義母も娘家族との同居を強く望んでいたし、親を引き取るということは当たり前のことだと私自身も思っていたので、すんなりと同居は決まりました。それから3年近く一つ屋根の下で暮らしてきたわけです。
 「年老いた親を引き取って面倒を見る」ということだけで美談のように聞こえますが、きれいごとでは済まされない現実がそこにはありました。この3年近くは心の底から同居の難しさを痛感した期間でした。断っておきますが、誰一人として悪いわけではないのです。悪いわけではないのですが、事態はなぜかどんどん悪い方向へと行ってしまうんですね。何とか良い方向にもっていこうと思っても思い通りにならない焦りといら立ちを家族みんなが抱えていました。そして義母自身も同居している娘家族に対して同じような感情を抱いていたのではないかと今になって思います。
 終わりの見えない日々が続いていたさ中、その終止符は突然打たれました。私が林間学校へ行く前日の7月29日に義母はくも膜下出血で倒れ、3週間後に息を引き取ったのです。この3週間は「危ない」「持ち直した」の繰り返しで家族みんなが病院と家とを何度往復したかわかりません。しかし、この3週間が我々家族にとってはかけがえのない貴重な時間になったことも事実です。妻はほとんど付きっ切り、私も勤務を終えてから病院へ向かい、子ども二人も自分の予定を取りやめて病院に通いました。同居している期間にはうまく作ることができなかった「絆」が少しずつ強くなっていくことを実感しました。病室のベッドを囲んで我々5人は本当の「家族」になっていったのです。
 8月20日の深夜、私は臨終の場に立ち会えなかったのですが、妻と子供二人は、脈拍の信号が一本線になる瞬間を見ていたそうです。私が病院に到着した時、子供たちの目は真っ赤でした。「おばあちゃん」の死を心から悼んでいたのでしょう。
 10月7日に無事四十九日を終え、義母の魂は安らかに天国に召されたことと思います。今も子供たちは義母の位牌の前で毎朝朝晩、線香を手向けています。
 義母の死は、うまく同居生活を築けなかった「家族」に大きな課題を残していきました。その答えは私たち家族一人一人がこれからの人生の中できちんと見つけていかなければならないことだと思っています。
 核家族化が進む中、日常的に祖父母と関わるという経験をする生徒は昔に比べてずっと少なくなりました。そのような時代であるからこそ、なおさら生徒たちに「命」「生」「老」「死」ということについてしっかりと教えていかなければならないと改めて思っています。自分自身の自戒の念も込めて……。

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