学校日記

宿題は、やらなくてもいい

公開日
2020/05/18
更新日
2020/05/18

できごと

サッカー選手の本田圭佑さんの発言が話題になっています。「学校の宿題はいらない」「嫌々やっても意味がない」というものです。みなさんはどう思いますか?
こんにちは、北川です。今日は永遠のテーマかもしれません「宿題」について、一緒に考えていきましょう。

まずもう一度、みなさんに「けテぶれ」を紹介したときの問いかけをさせてください。

「どうしてみんなは宿題をやるの?」

やらないと先生に叱られるから?家の人にやれって言われるから?それとも、宿題をしないとゲームができないから?エサを待っているヒナのように、与えられた課題だけをやっていませんか?やれと言われたことだけをやっていて、自分で学ぶことを楽しくないと感じていて、本当に大丈夫でしょうか?


そんな問いかけから、「自分で学習する力」をつけてほしいと紹介したのが「けテぶれ」学習法でした。取り組んでくれている人もいると思います。ありがとう!

さてそこで、いわゆる「宿題」(与えられた課題)について考えてみようと思います。
第一に、プリントなどの宿題は担任の先生たちが「みんなに力をつけてほしい」という思いをもって出しているということをわかってください。決していじわるで出しているのではないのです。「力をつけてほしい」「何かを頑張るという経験をしてほしい」「やり通す子になってほしい」と思って出しています。

でも僕は、「みんな同じ宿題は無理がある」とも思っています。例えば同じ算数のプリントを出したとします。「既に100点の力」がある人には、何の意味がありますか?漢字で、もう覚えている字を何度も書き取りする必要がありますか?純粋にそう思います。“みんな同じ”が平等や公平ではありません。自分が「分からない」ものを「分かる」ようにすることこそ「学力向上」だと思うからです。

だから、「今70点ぐらいだなあ」「まだ自信がないなあ」と思う人はプリントの問題をやってみよう。分からなければ、おうちの人や先生、友達に聞いてみよう。そうして「力」をつけていくのです。
その上で、もっと力をつけたい人は「けテぶれ」に取り組むのもいい。自主学習をするのもいい。読書をするのもいい。自分の力を伸ばせるような学習をしてほしいと思います。

本田圭佑さんの言う通り、宿題が嫌ならやらんでもいい。
ただ…「宿題をやらないで大好きなゲームをいっぱいする。」
それは違うと思うし、やめてほしい。宿題の替わりに、あなたは自分の力を伸ばすために何をがんばりますか?それをちゃんと、おうちの人や先生に説明できますか。宿題をしないという選択をするなら、そこまでがセットだと思っています。

宿題の内容は忘れたとしても、「何かに向かって頑張った」という経験は一生ものだと思います。何かを精いっぱい頑張る。努力する力を付けてほしいと思います。

熱く語ってしまいました(笑)最後に、この見解は北川個人のものであることをご承知おきください。

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