学校日記

ご無沙汰しておりました

公開日
2016/05/13
更新日
2016/05/15

校長室より

 前回アップしてからだいぶ日にちが経ってしまいました。申し訳ございません。
 実は書きかけの文でまとまらないものがあり、何度も書き直しているうちに、時間が過ぎてしまいました。とりあえず、その文章をアップすることにしました。……。

 3月18日の上一色中学校の卒業式は、胸を張って誇れる本当に素晴らしい式、そして本当に素晴らしい卒業生たちでした。心から感動することができました。しかしその裏で、私事で恐縮ですが、個人的には一つのドラマがありました。
 式開始直前、娘から学校に電話があり、「おじさん(私から見ると義兄になります)が危篤だ」という連絡を受けました。義兄は独身で8月に亡くなった義母と二人で暮らしていました。しかし、8年前にくも膜下出血で倒れ、それからずっと入院生活を送っていたのです。(その後、一人暮らしをしていた義母の介護が必要となり、我が家で同居することになったのです。)
 卒業式が終わり、妻に電話をかけると「ついさっき息を引き取った」ということでした。義母が亡くなってからは、妻は病院に毎日見舞いに行き、少しでも義兄の命が長らえるようにと元気づけていましたが、ついに帰らぬ人となりました。当たり前のことですが、人は誰でも最期の時を迎えます。わかっていることではありますが、その現実を受け止めることはなかなか厳しいものがあります。
 義兄の8年にも及ぶ寝たきりの生活は、思うように話せる状態ではなかったので、意思表示はうなずいたり、かぶりを振ったりするだけでした。義兄は辛かったことと思います。しかし、与えられた55年間の命を精いっぱい生きたことに間違いはありません。最期まで本当によく頑張ったと思います。3月21日が通夜、22日が告別式でした。喪主は妻です。義母の葬儀に続き、この1年間でまさか2度も喪主を務めることになろうとは……。我々家族は、この1年間で「死」というものについて本当に深く考えるようになったと思います。

 4月いっぱいまでかかりましたが、やっと義母と義兄が住んでいた公団住宅の片づけを終え、解約を済ませました。5月1日には四十九日法要と納骨を行い、何とか一段落ついたところです。
 時折見せてくれた義兄の屈託のない笑顔と私の不摂生な生活と体型を見ながら妻に言われた「短期間に3回も喪主をやるのは嫌だからね」という言葉をしっかりと胸に刻みつつ、自分に与えられた日々を健康に留意しながら悔いなく生きていきたいと思う今日この頃です。

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