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西小松川小学校のあゆみ【第11回】開校70周年記念誌で校歴を振り返る④

公開日
2024/07/25
更新日
2024/07/14

できごと

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https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1310045/blog_img/16133350?tm=20240714185934

 開校70周年記念誌から校歴について考えていきたいと思います。今回は、「今から70年前」の左側のページです。記念誌の校歴に関するページは見開きの右側に年表、左側に写真で構成されています。左側の写真のページは必ずしも右の年表の時期の写真とは限りません。「マーチングの歴史」などのテーマについてまとめているものもあります。

 上記のページは開校時の写真で構成することに決めていました。しかし、この当時の写真は学校にはほとんど残っていません。鉄筋校舎ができる頃になると写真があるのです。おそらく当時はカメラの普及が現在のような状況ではなく、学校でカメラで写真を撮ることはなかったのではないかと思います。卒業アルバムの写真など、写真屋さんに撮ってもらうものが主だったのではないかと思います。鉄筋校舎ができる昭和40年代になると普及し始めたのではないでしょうか。昭和40年代以降の学校行事の写真は多く残されています。学校で職員が学校行事を写真に撮り、現像してアルバムにまとめるということがこの時期に行われていたものと推察されます。一方、開校60周年の頃からの写真が残っていないのです。これは、デジタルカメラの普及によるものだと思われます。フイルム写真の頃は、現像してアルバムにまとめるという作業を行っていたのですが、平成24年頃になるとデジタルカメラが普及して学校でも写真の保管はサーバーに入れることになったのです。学校行事の写真は次年度以降の参考にするために行われるので、印刷しなくてもよいのです。ところが、サーバーは容量が限られているので定期的に消去します。特に写真のデータ量は文書データと比べても大変重いのは昔も今も変わりません。また、サーバーは定期的に更新されるため、そこでも直近に撮影された写真以外は消去されてしまいます。誰も周年記念誌で使うために残さないのです。それでも学校行事は卒業アルバムでも使うので残す必要があります。この写真を写真屋さんに撮ってもらうのです。しかし、写真屋さんも全ての写真を残しているわけではなく、児童が在籍している6年間のみです。周年の冊子で使う写真が得られないのはこのような理由なのではないでしょうか。

 このような理由で開校当時の写真が残されていないので、20周年記念誌や昭和30年代の卒業アルバムからスキャンして作成しました。分校当時の写真は現在では2枚しか残っていません。このうちの1枚が木造校舎の前に児童が並んでいる写真です。当時は木造校舎なので木造校舎前で朝会を行っていた写真が見つけて入れました。この時期に桑田先生が脚本を書いた児童劇で区の代表になることが多くあったため、中央学芸会に参加したときの写真を入れました。また、この時期は1クラス50人程いたので、現在のような35人学級と比べることができるように卒業アルバムの写真を入れました。第3代校長の頃に鼓笛隊が組織されました。木造校舎の様子やプールや体育館のない当時の写真も卒業アルバムから見つけて入れました。あと、1か所に何を入れるか考えていた時に第二松江小学校の校旗が見つかったのです。昔の写真が置かれている棚に木箱が保管されていました。写真が入っていると思っていたのですが、中を開けてみると第二松江小学校の校旗だったのです。この藍色の校旗は、右から横に「校學小常尋江松二第市京東」と書かれています。第二松江小学校は大正3年に開校しました。当時の小学校は「尋常小學校」と言われていました。昭和16年に「国民学校」に名称変更になりました。戦後に現在の「小学校」となりました。「學」の字も昭和21年に当用漢字が答申されたときに「学」になりました。「東京市」も昭和18年までの表記です。西小松川小学校が第二松江小学校の分校として移転してきたのは昭和23年なので、この校旗は第二松江小学校にあった校旗を分校として移転する際に分けていただいたものなのではないかと思います。右書きから左書きに変わったのも昭和27年です。

 子供たちにここで掲載した写真を元にして現在との違いから、昔のことについて興味をもって調べたり、考えたりしようとしてもらえたらうれしく思います。