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西小松川小学校のあゆみ【第2回】昭和27年開校当時のこと

公開日
2024/04/04
更新日
2024/04/04

できごと

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 昭和27年に本校は第二松江小学校の分校から独立して「西小松川小学校」になりました。現在の住所は「松島3丁目30番6号」ですが、当時の住所が「西小松川2丁目286番」だったことから、この校名になったのだと思われます。当時は、サンフランシスコ平和条約が発効され、日本が新たなる出発をした年でもあります。学級数23、児童数1157人の規模でした。(上記の航空写真は昭和29年頃に撮影されたものです。)昭和27年度の学事報告が学校に残っているので、この当時の学校生活を見てみましょう。

 ・第1回卒業生は男子103人、女子105人の計208人

 ・5月5日に独立記念祝賀・記念運動会を実施

 ・秋の運動会は増築工事のために中止(当時は春秋の年2回運動会がありました)

 ・夏休みに箱根で2泊3日の林間学校を実施

 ・6年生は昭和28年1月31日と2月1日に静岡県三保の松原に卒業旅行に行った

 ・学芸会を昭和28年2月27日に区の代表として中央芸能祭に出場。本校職員であり、校歌の作詞者でもある桑田芳樹先生が創作された劇を演じた(上記の写真は昭和29年に区の代表として東京都小学校児童中央学芸会」参加した時のもので、このときも桑田先生が台本を創作した

 ・8月6日~12月23日まで増築工事があり、7教室増えた。このため、2部授業(教室不足のため、児童を午前・午後などの2部に分かれて学習すること)が解消した

 当時は児童数も現在の2.5倍の規模で、運動会や宿泊行事、学芸会などの学校行事も行われました。終戦から7年しかたっていないこの時期は急激な人口増のため、食糧難、インフレであったことを考えると地域の方々、保護者の物心両面の支えにより当時の子供たちは様々な学びを行うことができたのだと思います。学事報告の記録から、その後も父母の会(当時のPTA)の後援により昭和30年度に放送設備が完成し、昭和31年度には給食の調理室の機械化が行われたそうです。今も昔も本校は地域・保護者に支えられていることが分かります。

 次回は、開校と同時に制定された校章と校歌についてお伝えしたいと思います。

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