一之江第二小 北門

学校日記

1月号

公開日
2013/01/07
更新日
2013/01/07

学校だより

校長   倉田 克彦
新年あけましておめでとうございます

 新しい年、平成25年の幕開けです。各ご家庭におかれましては、明るく希望に満ちた新年をお迎えのことと思います。今年も皆様方にとりまして、よき年となりますよう、心からお祈り申し上げます。子供たちには、まず自分の目標をもち、挑戦を続けていって欲しいと願っています。今年も、子供ともに職員一同、安全で安心な環境づくりと充実した教育活動を推進してまいります。地域の皆様や保護者の皆様のご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。

 挑戦者になり、よい1年を

 私が、「挑戦」という言葉で浮かんでくる人物は、杉田秀夫さんです。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋建設の基礎工事で尽力された方です。
四国と本州をつなぐ橋を架ける。これは、四国に暮らす人々にとって長い間の悲願だったそうです。明治時代に大久保じん(※)之丞が本州と四国を結ぶ橋を初めて提案した時に「何を夢見たいなことを。」と人々は笑ったそうです。その夢みたいなことを現実のものとした人物の1人が杉田秀夫さんです。
 橋への願いが本格的となったのは、1955年5月に、瀬戸内海で起きた大惨事がきっかけと言われています。修学旅行生などを乗せた船が霧のために他の船とぶつかって約170人の犠牲者を出しました。タイタニック号などにつぐ、世界三番目の大きな事故だそうです。
 この事故を聞いて、橋の工事が仕事であった24歳の杉田さんは、目標を「本州と四国に橋を架けること」と決めました。そしてその事故の29年後、瀬戸大橋は着工されることになりますが、杉田さんは、基礎工事の責任者となっていました。
 瀬戸大橋は、海の上を渡る部分が9368mにも及ぶ巨大なものであり、橋脚と橋脚の間は長いところで1100mもあります。瀬戸大橋の基礎になる部分の海中での工事は、最も深いところで海面下50mのところで行わなければならなかったそうです。杉田さんは、工事の状況を正確につかむためには、工事責任者が海に潜って現場を確かめることが大事だと考えました。50歳を超えていた杉田さんは、体力をつけるために自宅の丸亀市から職場の坂出市への片道12キロを自転車で毎日往復したそうです。杉田さんは、激しい水圧と視界の効かない海中に、300回以上潜り、直接工事の指揮をとったそうです。
 海の底は平らではなく、硬い岩があります。この岩をダイナマイトで爆破する必要があります。島の漁師さんたちは魚が死ぬからと反対をしました。杉田さんは500回の説明会を開き説得に当たります。気の荒い漁師さんもいたそうですが、杉田さんの人柄にやがて輪が出来たといいます。この間、奥さんを癌で亡くすなどのこともありましたが、瀬戸大橋をつくる基礎ができて今の素晴らしい瀬戸大橋ができたのです。10年後の開通式には10万人が集まったそうですが、杉田さんの姿はなかったそうです。ただそこには修学旅行で亡くなった子供の写真をもった家族の姿があったそうです。
 杉田さんの生き方から、挑戦することの偉大さ、素晴らしさ、大切さが感じられます。子供たちもまた、前へ進む「挑戦者」であって欲しいと思います。

(※)じん・・・言に甚

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