校章・校歌
校章
校章のいわれ
この地域一帯には、遠く平安朝のころから御厨やといって、稲のおくらがあったそうです。このことからも、昔からこの辺り一帯が、豊かな水田であったということがうかがえます。 この学校が誕生した時に、校章を募集したところ、稲の花をデザイン化したこのような校章がありました。 稲穂が実ってふくらんでいくようすは、子どもたちが成長していく姿に置きかえられるものであり、健やかに育ってほしいという願いがこめられています。 しかし、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉のように、実っていくほど謙虚な態度と豊かな人間性を、持ちあわせた子どもたちであってほしい、そんな願いとこの地域の歴史を考えあわせ、この校章に決まりました。
南篠崎小学校校歌
作曲 小出 浩平 先生 :多くの校歌を作曲された
作詩 勝 承夫 先生 :「子ぎつね」「夜汽車」などの作詞で有名です
”行く水”は、つくしの春もすすきの秋も、いつも同じ面で優しく私たちを見つめているようです。 しかしその流れは休むことなく刻々とかわり、清い流れは耐えず広い世界へ向かうのです。 川は、人と人との交わりを助け、町の発展を見守ってきました。この土地の生みの親と言ってもいいでしょう。 子どもたちもまた、川と共に生活してきました。南篠崎の子どもたちも日々の努力を惜しまず、たゆまず進んでほしい。そんな願いがこの”行く水”に託されているのでしょう。 天照皇大神を祭った”天祖神社”は、昔の人々の心をひとつに結んできました。多くの人が心のよりどころとして集まり、祭りを楽しみにしていたのです。 いつの日からか、そこに立つ”大いちょう”が、和やかな人々の生活を見つめていました。今は、風に倒れた大いちょうの切り株が、伸びゆく南篠崎の子どもたちをやはり昔と同じように見つめています。 この詩の生まれる頃、まだ青く固い”ほおづき”の実が、浅草の市へ出る準備をしていました。 今、二十五年目をむかえた南篠崎の子どもたちは、この歌を歌いつつ、ほおづきのように丸い夢を一人ひとりひとりが抱いていることでしょう。 勝先生は、でき上がった詩の説明をあえて避けられたそうです。歌う者ひとりひとりが心の中で暖めふくらませていく中で、ほんとうに”子どもたちの歌”たなる日が来ることを信じていらっしゃったからでしょう。