学校日記

「違くない」「違かった」でいいじゃないか……

公開日
2016/05/20
更新日
2016/05/20

校長室より

 前回、「違くない」「違かった」について私見を述べさせていただきましたが、実はあの文章は3月に書いたものです。どうして温めておいたのかというと、自分自身の迷いと若干の心境の変化があったからです。それは、どういうことかというと、現代はあのような言葉遣いが主流であり、自分がマイノリティーなのではないかと感じるようになったからです。いちいちそんなことに目くじらを立てている自分がもしかしたら“普通”の枠から外れているのかもしれないという不安を感じたのです。
 「ら抜き言葉」というものがあることはご存じだと思いますが、この言葉は一昔前までは全国的に「問題」として取り上げられていました。私自身も当時からとても気に障る表現でした。しかし、今はすっかり下火です。芸能人も一般の方も普通に「ら抜き言葉」を使っています。正しく「ら」を入れて話している人を探すほうが難しいようにも思います。
(それでもテレビでは、実際の発言は「ら抜き言葉」でも下に示される字幕には「ら」が入っていることは多いように感じます。テレビ局のささやかな良心なのでしょうか?)
 そんなことを考えていると、また先ほど書いた気持ちが起こってくるのです。すでに「ら抜き言葉」は「日本語」として市民権を得ているのではないか? 私はやはりマイノリティーであり、「ら抜き言葉」をおかしいと思う人間のほうがおかしいのかもしれない、と。
 正直なところ、このような発信はしていますが、周囲の人が「違くない」や「違かった」と表現しても、そして「ら抜き言葉」を使っていたとしても、指摘する勇気は今はほとんどありません。テレビに向かって突っ込むくらいです。そう考えると「言葉は常に変化するものである」という真理を受け入れ、「長い物には巻かれろ」という気持ちで過ごしていくことが今を生きる我々にとっては大切なことなのかも……。
 ささやかな抵抗としては、口には出さずとも「自分は絶対にこのような言葉は使わない」と意固地な気持ちをもち続けることだけです。