金閣寺と銀閣寺
- 公開日
- 2015/09/18
- 更新日
- 2015/10/13
校長室より
修学旅行の最終日、バスガイドさんの話で妙に納得してしまったものがありました。この話を聞いた時、HPで何とか使えないものかなあと思ったわけですが……。
まず、その話を書かなければ、文字通りに「話にならない」ですね。それは、こういうものです。
ガイドさんが生徒に向かって
「金閣寺と銀閣寺、両方見た人?」と聞きました。多くの生徒が手を挙げました。
「じゃあ、見た時にハッと息を飲んだのはどっち?」生徒の答えは圧倒的に「金閣寺」でした。それはそうですよね。
「じゃあ、ずっと住むんだったらどっち?」答えは圧倒的に「銀閣寺」でした。
たったそれだけなのですが、そこに何か奥の深いものを感じました。その深いものが何なのか、頭の中で整理してみました。
初めは、「きらびやかなイメージの金閣寺だが、その感動は一瞬だけのもので、長い目で見れば地味で目立たない銀閣寺の方が優れているんだ」ということで「その場だけの楽しさやおもしろさだけにとらわれず、先を見ることが大切だ」とまとめようと思ったのですが、どうもしっくりきません。「金閣は悪いものなのか?」という疑問が残ったからです。
その後、考えに考えてやっと一つの結論にたどりつきました。それは、あれだけの感動を与えてくれる金閣寺はやはり素晴らしいものだということです。そしてもちろん銀閣寺も。金子みすゞではありませんが、「みんな違ってみんないい」なのだと気づきました。それまでのモヤモヤが消えてとても清々しい気分になりました。
思うに、「悪いところを探そう」とか「悪いに決まっている」と思って人や物を見る時、心は重くドロドロしたものになるようです。反対に「良いところを探そう」とか「違うところを尊重しよう」と思うと、軽くサラサラした心になります。
我々は、ついつい人の悪いところをあげつらい、その人の全てが悪いもののように決めてしまいがちですが、広い心と温かい眼差しで見つめればきっと自分には無い素晴らしいものが見えてくるのではないでしょうか?
吉川英治さんのこんな言葉が頭に浮かんできました。
我以外皆我師也(われいがいみなわがしなり)
〈自分以外の人や物は全て自分に何かを教えてくれる先生だ〉