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西小松川小学校のあゆみ【第13回】開校70周年記念誌で校歴を振り返る⑥

公開日
2024/07/29
更新日
2024/07/14

できごと

https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1310045/blog_img/16133352?tm=20240714210755

 開校70周年記念誌をとおして校歴を振り返ります。今回は、「今から60年前(昭和38年~昭和47年)」の左側のページです。

 校舎の増改築のことについて調べるために、事務室に行って校舎の図面を探そうとしていたときのことです。当時の事務主事から、事務室の廊下側の掲示板に校舎の増改築の絵が掲示されていることを聞いたのです。それまで何年も事務室の前を通ってきたのですが、その掲示物には気にも留めなかったのか、言われて初めて気付いたのです。その掲示物をよく見ると大変よくできていて、本校の校歴に書かれている増改築が全てイラストで描かれていました。これを記念誌に載せたいと思ったのですが、大きな額縁に貼られているために取ることができず、写真で残そうとしても表面がガラスのために反射してうまく写真を取ることができませんでした。そのような写真を使って紙面を構成して印刷所に出した所、印刷所で見やすく修正してくださって、上記のような増改築の紙面をまとめることができました。これもイラストを描いて記録を残してくださった先輩の先生方のおかげです。また、事務主事のアドバイスがなければ、このイラストにも気付かずのままだったのです。多くの方の力を借りて記念誌は完成しています。

 昭和42年の増改築の項に「曳屋」の記述があります。「曳屋」とは、建物を解体せずにそのまま移動することです。本校は木造校舎から鉄筋校舎に改築する際も、当時の児童数が1000人以上在籍していたため、プレハブ校舎だけでは賄いきれなかったようです。そこで、北側の木造校舎を南側に移動して南側に2列の木造校舎が並ぶように配置してあります。先日、この当時に在籍されていた方とお話をする機会がありましたが、この「曳屋」についても覚えていらっしゃいました。その方はプレハブ校舎で学習したそうです。この「曳屋」の情報は当時の学校要覧の表紙に書かれていました。当時の学校要覧の表紙には校舎配置図が書かれていて、この中に「曳屋」の記述がありました。その記述に気付かなかったら、昭和42年や45年のイラストで校舎が2列になっている意味は分からなかったのではないかと思います。

 今ではどの学校でもあって当たり前のプールや体育館もこの時期に整えられました。プールは昭和37年、体育館は昭和43年に完成しました。これらの施設はその後改築されていないので、作られた当時の写真を掲載しました。子供たちは今とあまり変わらないことに気付くでしょう。また、「今から70年前」に掲載していた木造校舎での朝会と対比するために鉄筋校舎での朝会を掲載しました。鉄筋校舎は今の校舎と変わりはありませんが、児童数が全然違います。昭和47年当時1130人在籍していました。今の在籍数のおよそ2.5倍の人数です。そういう違いにも子供たちは気付いてくれるでしょうか。校舎改築途中の写真も貴重なので入れました。

 20周年記念(昭和47年)当時の校長だった上山校長は記念誌で、20周年を「人ならばまさに成人の域に達した」と表現していました。これは今から考えると正にその通りで学校としての基本的な施設が整ったことを意味しているようにも捉えられます。それから50年、この施設を利用して西小松川小学校は教育活動を進めてきました。この記念誌をとおして今ある施設について子供たちが考えるきっかけとしてもらえるとうれしく思います。

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