校章・校歌
校章
校章の由来
手足を大の字にひろげ、両足を大地でしっかりとふまえ、両手を大空に思いっきり伸ばし、今や中央から大地四方へ飛躍しようとする姿を表している。
仮名の「カ」4つで「シカ中」を表し、漢字の「力(ちから)」4つは、知性の力・自律の力・真理の力・文明の力を意味する。鹿中生が文化日本の先頭に立って雄々しく進む姿を願っている。
制定のいきさつ
鹿本小に併置。はじめは、鹿本小の校章の「小」を「中」に変えたものを校章としていた。
昭和27年度に入り「鹿中生として誇りを持てる校章を考案しよう。」との声が起こり、生徒、教職員より意匠の募集を行なった。応募作品は文字の組み合わせたものが多くあったことから、当時、2年生在籍生徒の「4つの力」の組み合わせた図案を採用。これに「中」の部分及び全体の校章化を美術の先生が考案して制定したと言われる。
校歌
作詞者 福里 栄三 第2代校長 (昭和25年10月〜34年3月 本校在職)
作曲者 鈴木 昭治 音楽科教諭 (昭和32年4月〜33年3月 本校在職)
1.いにしえは 鹿ぞすみけん
茅原に 今文明の
香も清く そびえて立てる
学舎は これぞ我等が
鹿本中学校
2.あらたなる 朝日輝く
学窓に 知性豊けき
若人が 自律の光
かかげつつ 真理を究む
鹿本中学校
3.いざや友 希望は高き
雲の峰 理想は薫る
蓮の花 文化日本の
さきがけと その名称えん
鹿本中学校
歌詞・曲について
かって学区域全体を鹿本村と言い、古くは鹿が生息していた。約6千坪の広大な土地を盛り土しての校地に、当時として区内随一の設備を持つ校舎をはじめ、テニスコート・野球場の施設があり、恵まれた環境であった。この校舎に学ぶ生徒達が将来の日本にとって、有用な人材となることを願って作詞作曲がされている。
制定のいきさつ
学制改革により昭和22年・鹿本中学校設立の認可があり鹿本小学校内に併設される。しかし、全体的に整備が遅れ、2代.福里校長による校歌の制定は昭和32年である。
(これ以前に、鹿本小の校歌を編曲したのと、あと1曲、校歌らしいものがあった、と初期の卒業生の声がある。)「よい環境からよい生徒が生まれる。」の合言葉と、心の支えとして現校歌が生まれた。