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開校70周年記念誌 こぼれ話 第3回 「校歌」その2

公開日
2022/11/07
更新日
2022/11/07

できごと

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 「創立20周年記念誌」の座談会の記事に「昭和三十二年に校歌ができました」とありました。校歌は昭和27年5月に制定されたはずです。発言者について調べてみると、発言者は校歌の作詞をされた桑田先生と一緒に平井康三郎先生に作曲をお願いしに行った音楽の先生だったのです。これは一体どういうことなのでしょうか。
 その後、この疑問の答えを教えてくれる資料を見つけました。昭和31年度、昭和32年度の学事報告です。この2つの文書に以下の記述がありました。
【昭和31年度】「次に校歌で御座いますが、作詞は本校教諭 桑田芳樹先生によって成り、作曲は元 芸術大学作曲教授でありました平井康三郎先生に依頼中で皆様におきかせ出来ないのが残念でなりません」
【昭和32年度】「校歌は桑田先生に作詞をしていただき、芸術大学の平井康三郎先生に作曲を依頼中でしたが、八月に出来あがりましたので九月五日には東京消防庁音楽隊をお招きして発表会を行いました。学芸会の折も皆さんで合奏された事はまだ記憶に新しいことでしょう。」
 これらの記述から、「校歌の歌詞は昭和27年にできていて、曲は昭和32年にできたため、完成は昭和32年だった。」という結論が得られました。実際に昭和31年の卒業式では校歌は歌われていません。戦後まもなくの時代には必ずしも学校の開校と同時に校歌ができていたわけではなかったようです。地域の求めに応じて開校後に作られたり、戦前の校歌から変更したりする学校もありました。作曲の平井先生は、大学から小学校まで全国の600校以上の校歌を作曲しています。ここからは想像ですが、平井先生は学校からの要望があれば、作曲を引き受けていたのではないかと思います(区内では西小松川、小岩、下鎌田、平井南)。そのため、作曲をお願いしても完成までに時間がかかったことが予想されます。依頼する方もそれは十分分かっている事です。たとえ時間がかかっても平井先生に校歌の作曲をしてもらいたかったのだと思います。開校当時の学校にかける想いがこのエピソードに込められているように感じます。このようにして西小松川小学校の校歌は完成しました。

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