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西小松川小学校のあゆみ【第8回】開校70周年記念誌で校歴を振り返る①

公開日
2024/07/22
更新日
2024/07/14

できごと

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https://edogawa.schoolweb.ne.jp/1310045/blog_img/16133322?tm=20240714103345

 夏休みの期間を利用して、2年前に作成した開校70周年記念誌により、本校の歴史を振り返ってみたいと思います。

 今回は、校章や校歌の由来のページです。校章・校歌の由来は、江戸川区教育研究所著「校章と校歌 江戸川区立幼稚園、小学校、中学校」(区立図書館に所蔵してあり、市販されておりません)から引用しました。また、本校校歌の作詞をされた桑田先生の文章は「30周年記念誌」p.40から引用しました。ここには桑田先生ご本人が、本校校歌の歌詞をどのような想いでお書きになったのかを詳細に記してくださっています。この文章は「開校五十周年記念誌」や「開校60周年記念誌」に一部掲載されているのですが、開校70周年記念誌では全文掲載しました。

 桑田先生の記述の中に「秋、女性名前の台風が来ました。」とあります。これはおそらく「キティ台風(昭和24年台風第10号)」のことを指しているのだと思われます。キティ台風は、台風上陸時に東京湾が満潮だったため、江戸川区は高潮になり、大規模な浸水被害となりました。その2年前にも「カスリーン台風(昭和22年台風第9号)」が上陸し、利根川の堤防が決壊し、江戸川区は大洪水となりました。昭和22年のカスリーン台風の被害が大きかったために、第二次世界大戦の影響で中止になっていた新中川開拓事業が再開された経緯があります。

 西小松川小学校は昭和23年に第二松江小学校の分校としてこの地に移転したため、桑田先生は本校の校舎でキティ台風を経験されていることと思います。3,4年生の社会科の副読本「わたしたちの江戸川区」にもキティ台風のときの平井駅の写真があるのですが、ボートで移動している状況でした。「台風をやり過ごした」と桑田先生の記述にあるので、西小松川小学校周辺は大きな被害を受けることがなかったのではないかと推察します。

 これまでの記念誌には校歌の楽譜が載せられていなかったため、今回、上記の「校章と校歌」の冊子から引用して掲載しました。校歌を作詞された桑田先生についても「20周年記念誌」の座談会(令和6年5月10日HP掲載)での記述をもとにして紹介させていただきました。本校の卒業生はもうすぐ1万人になります。在学児童の祖父母にも本校の卒業生だった方もいらっしゃいます。ぜひ、多くの方にご覧になっていただけるとありがたく思います。