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開校70周年記念誌 こぼれ話 第6回 「新校舎建築」

公開日
2022/11/11
更新日
2022/11/11

できごと

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 年表では「鉄筋4階建8教室完成」と書かれているため見逃しがちなのですが、校舎を建てるということは、その分、古い校舎を壊しながら建てなければならず、どこかで授業を行わなければなりません。昭和23年の分校当時から昭和33年の1718名をピークに児童数が増え、現在の校舎を建築し始めた昭和41年には1040名(26学級)でした。統廃合の学校では一方の学校に移って、もう一方を工事することができます。本校ではそれはできずプレハブを建てて対応するしかないと思っていました。どのように校舎が造られたのかを調べるために事務主事に当時の図面などがないかを尋ねた所、事務室の廊下側の壁に分校の頃からの校舎建築の推移がイラストで描かれていることを知らされました。毎日のように通り過ぎる事務室前ですが、それには気付きませんでした。印刷会社が見やすく記念誌に載せてくれたのでぜひご覧ください。さらに資料を当たっていると、昭和43〜45年の学校要覧に当時の校舎や教室の図が描かれていました。この図を見ると「曳屋」と書かれています。プレハブで対応しただけではなく北側にあった木造2階建ての旧校舎を南側に移築したことが分かります。このように、校舎を建築しても授業ができるように工夫して昭和41年から昭和47年にかけて現在の校舎は完成しました。建設中は今の2倍以上の児童数がいる上、校庭が狭くなるために様々な制限がある中、児童も学びを続けてきました。当時の上山校長先生が「教育内容の充実こそが評価の尺度」と20周年記念誌に書かれています。完成当時のピカピカの校舎の写真を見ると、アルミサッシでなかったり、植えられた樹木が小さかったり、教室から煙突が出ていなかったり、校章がなかったり、児童数が多かったりなど、様々なことに気付きます。
 11月11日の開校70周年式典の日に記念誌が配られます。ご家族でご覧になっていただき、70年間積み上げられてきた歴史や児童の未来に向けた夢などをご覧になっていただけるとありがたく思います。PTA広報部からはコロナ禍で行事ができない中、写真集めに苦労していた時に支援していただきました。ご協力いただいた多くの方に感謝いたします。

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