学校日記

終業式の話「ごめんね の一言」(12/25)

公開日
2018/12/25
更新日
2018/12/26

できごと

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 2学期の終業式を迎えました。生徒の皆さん、お疲れ様でした。 先日の大掃除では、2学期を振り返るかのように、日々の活動に使用した教室などを、とてもていねいに掃除をしていました。この2学期、皆さん一人一人に努力やがんばりといったチャレンジがあり、それが皆さんを確かな成長に導いたと思います。それらを大切にして、また次につなげていってください。

 さて、2学期を振り返ってみて、いつも順調というわけではなかったのではないでしょうか。皆さんの年頃はいろいろな意味で「悩み事」が多いものです。学校生活を過ごしていく中で、友達とのちょっとした言葉の行き違いや、言い過ぎてしまったこと、言わなければよかったあの一言などはありませんか。それも直接対面してのコミュニケーションとは限らず、SNSを通じたやり取りにおいても起こってしまうものです。
そういった悩み事を上手に解決できましたか。ならば良いのですが、もし、すれ違った気持ちを引きずってしまっている人がいるのではないか、心配です。

 校長先生は、中学1年生の時、同じ趣味をもつとても仲の良い親友に、すぐに「ごめんね」と言えず、曖昧にしてやり過ごしたことがあります。掃除の時間に、雑巾をある人に投げて渡そうとしたことがあります。しかし、雑巾は渡そうとした相手ではなく親友に当たってしまいました。その時、すぐに「ごめん」というのが普通だと思います。しかし、悪気がなく偶然に当たってしまったので謝る必要がない、と無意識に思ったのか、一言も詫びることなくその場をやり過ごしてしまいました。その結果、人間関係が崩れてしまったのです。

 そのことをきっかけに、その親友とは会話をしなくなりました。また、他の人と話すことが億劫になってしまい、気づいたら自分が無口な性格に変わっていました。その後、あの時に「ごめんね」が言えなかった自分を責め続けました。
 その親友との人間関係が修復したのは、5年ぐらいたった高校時代だったと思います。同じ趣味をもち、同じ高校に通ったこともあって、人間関係は修復されていました。しかし、あの時のことを曖昧にして過ごしてきた自分に嫌気がさし、思い切って中1の時のことを持ち出し「あの時はごめんね」と言ってみました。そうしたら彼は、「大丈夫だよ」と気持ちを受け入れてくれました。彼は、あのことを忘れることなく覚えていたのです。改めて恥ずかしい気持ちになりました。

 先ほど、皆さんの2学期において人間関係の悩み事は解決できましたか、とたずねました。どちらが悪いとか、自分の気持ちを変えることができない、など正直な気持ちがあると思います。
 しかし、もともと仲が良かったのに、なんで人間関係がこじれてしまったのだろう、と悩んでいる人は、ちょっとだけ勇気を出して、自分から「ごめんね」と気持ちを伝えてみてください。また、その言葉を受けとめる人は、もともと仲が良かったのだから「大丈夫だよ」という言葉を返して上げてみてはいかがでしょうか。

 簡単ではない話ですが、「ごめんね」と「大丈夫だよ」という言葉が、人と人とを結びなおしてくれるかもしれません。校長先生は5年もかけてしまいましたが、時間をかけすぎました。今では、直接会うことはありませんが、40年以上も経った今では、お互いに「お元気ですか」と年賀状のやり取りを行っています。そんな関係に戻れてよかった、とつくづく思います。